3日目ベルリンの壁編・ドイツフィンランド旅2009

TRIP
この記事は、2009-07-02にアメブロに掲載した過去記事です。旅の記録として。

テレビ塔を間近で観て、今度はベルリンの壁博物館に行くことにしました。
どこから電車に乗ろう…と歩いていると、ベビーカーに子供を乗せたお母さんが英語はわかる?と聞いてきます。
少し。と答えると、紙を渡されました。
誰かからの手紙で訪ね歩いてるのかなぁ?と英文を読み出した私達が馬鹿でした。
そこには、「この子は病気で、お金がなくて困っている。お金をください」と、そんな内容。
日本語でお互い理解し合い、「ごめんなさい、この英語理解できないです」と返してみる…。
プリーズと悲しげな目。でもNo,Noと歩き出すとついては来なかった。
あの親子が本当と感じたら寄付するだろうか。
あの親子を偽物と理解してよかったのだろうか。
真相はわからないけど、あなたは私でも持っていない金歯を覗かせていたよ?
避けたつもりが、また見かけた。
皆話しかけられた途端Noと行って歩き去る。
慣れていないな、私達。

さて、迷いながらもU6線Kochstr.駅に着きました。
ここにはベルリンの壁博物館と、チェックポイントチャーリーがあります。

チェックポイントチャーリーは、ベルリンがまだ東西に分断されていた時代の国境検問所です。
外国人、外交官、西側連合国軍の関係者が徒歩または自動車で通行するための検問所だったようです。
そのすぐ近くの通り、Zimmerstr.には、ベルリンの壁があった場所の地面に、ブロックでラインが埋められています。

今目の前に広がる景色も、当時は壁で見えなかったんですね。。
旧境界線上の一帯では、その当時の資料が見れるようになっていました。

英語でも書かれていましたが、理解できるのはほんの少し。
もう本当、英語がわからない悔しさと、歴史知識の乏しさに、がっかりです。
写真を見る限りでも、悲惨な様子が伺えます。

壁博物館では、当時自由を求めて東から西へ、あらゆる方法を使って脱出する人々の様子が紹介されていました。
自動車、飛行船、潜水艦、地下を掘ってのトンネル脱出…。
成功した人々の笑顔の写真もありましたが、中には失敗してこの世を去った人達も沢山いるでしょう。

1989年、壁は崩壊されました。
その頃、まだ幼かった私には、後にカップラーメンのCMで映し出された映像くらいしか記憶にありません。
歴史、社会科など苦手だった私の頭には、正直ベルリンの壁は知っているものの、知識はあまりありませんでした。
ですが、この博物館で当時の写真を沢山みて、どうしてこうなってしまったのか、知りたいと思いました。
ベルリンの壁について勉強すること、英語を話せるようになること、これはクリアしたい課題です。
地理も歴史も苦手なので、私はもっぱら旅して覚えて行こうという作戦に出ています。

この博物館は入り口のわりにはとても広いです。
どこからどうみたらいいんだろうというくらい。
22時までやっています。
ベルリンウェルカムカードで割引も受けられました。

夜も遅かったので、スーパーでビールを買い込み、部屋で飲み比べをすることになりました。
ベルリン最後の夜です。

真ん中のビールは初日に飲んでおいしかったので、左のから飲んでみることに。
…おいしい!こくがある気がします。
続いて右のビール。
…さっきのに比べて強い感じがする!
ビールの味もわかるもんですね。
結果、真ん中・左・右という順で好みでした。
多分真ん中のが一番飲みやすかったので、本当のビール好きには物足りなかったりするのかもしれません。
名前が…ちゃんと読めないんですね~。
すべてジャケ買いです。笑
おつまみにはスーパーで買ったハムを。
いっぱい種類があって迷う~って時に飛び込んで来たこのハム。

ジャケ買いです。笑
クマに見えて犬だろうか?
こんなかわいいのにかなりおいしい。


そして友人が持って来てくれた日本食をいきなりもう食べました。

日本食が恋しくなったわけでもなく、荷物を減らしたくて◎
お湯を注ぐとあらあらおいしい五目ごはん!
ほんまにおいしい。
これ、災害時用にもいいですよ。
時間かかりますが、水でもできるみたいです。
でもお湯の方が炊きたてな感じ♪
こんなおいしいと思いませんでした。
発達してるなぁ、レトルト技術。
初めてご飯系のフリーズドライを食べました。

お酒も飲んで疲れもピーク。
ビール2本でお互い睡魔が襲い、飲み比べは強制終了となりました。

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